木桶職人復活プロジェクト

越後味噌醸造

2019年8月16日(金)

毎年、お盆の交通ラッシュのニュースと共に

決まって流れてくるのは台風のニュース。

 

いい加減、連休をずらせばいいのにと思うのは

少し勝手な考え方であり、

ご先祖さまも何かと忙しいだろうし、

そう簡単にスケジュールをずらす事は難しいのかもしれない。

 

数日前に新潟県内で40度を超える場所もあった中、

その日も少し前に降った雨のせいで蒸し暑かった。

 

越後味噌醸造。

新潟県は燕市吉田にある味噌蔵を訪ねた。

 

実は私自身が隣町の出身であり、

高校卒業まで近くにいたにも関わらず、

自分が木桶に興味を持って調べる最近まで

この蔵の事は全く知らずにいた。

 

蔵の中を歩いていると、

この日の気候も相まってか、

じっとりとた空気に菌たちの息遣いをより感じた。

 

この日案内をしてくれたのは、

マネージャーの高久さんと醸造部の安藤さん。

もともと出版社に勤めていた安藤さんは、

越後味噌醸造前社長の

とてつもない木桶への愛情に感化され入社を決意。

 

初めて木桶を見たときに、

蔵にドーンとある姿に圧倒されつつも

大きいけどどこか温かみのあるその姿に

何かこみ上げてくる気持ちがあったという。

 

その言葉にならないような思いは、

自分が初めて小豆島で木桶を見た時に同じような体験をした。

蔵には使っていない木桶もかなりの数あるようだった。

また、数年前まで木桶の補修も自分たちの手で行なっていたようだ。

 

しかし、今は補修をできる人もいなくなり、

調子が悪くなると以前働いていた方に頼み、

見に来てもらっている。

 

改めて考えると、

自分たちが使う道具を自分たちで調整する、

そんな当たり前の事が出来ない現状や、

さらにその補修が出来る方の高齢化など、

これから先の不安がない訳ではなかったが、

安藤自身もその技術の習得へ前向きだ。

 

元々、この辺りの豪商である

今井家が創業したこともあり、

”何代目”のような家系として

引き継がれていくのとは違う継承の仕方だった。

 

今風に言えば、”雇われ社長”が軸となり

それぞれの時代を受け継いできた。

いわゆる会社としての蔵と

そこにある木桶という形に、

なんとなく継承が途絶えやすそうな

脆さを覚えたのはなぜだろう。

 

自身のご実家も味噌と醤油の蔵元である

マネージャーの高久さんは言う。

「(継承が)代々ってところは本当は逆に幸せですよね、

本人も少なからず下の代に

残していこうっていう意識はあるし、

実際に自分もある。

だけど、こうゆうところはそれがない。

それが、いいのかどうか分からないけれども。」

 

もちろんすべての企業や

蔵元にも当てはまることではないし、

自分の勝手な思い込みが

少し行き過ぎただけだなと思った。

 

「一番(この蔵に居るのが)長いのは木桶さんですよ。」

と、お2人は笑いながらも、

「自分たちの代で歴史は作っていける。」と言っていた。

そうやって1771年の創業から繋がってきたのだ。

 

写真・文章