職人醤油の蔵元

八木澤商店

地元と一体になり地域と共に成長

早い時期に丸大豆による醤油づくりを手掛け、昔ながらの味を追求してきた老舗ですが、2011年の東日本大震災で一変します。醤油も蔵もすべてが流されてしまいましたが、八木澤商店の根本を支えるものは何も変わっていないように感じます。

文化四年(1807年)創業。

初めて伺ったのはここでした。

かつての八木澤商店には、土蔵の蔵の中に木桶が並び、伝統的な製法での醤油づくりの光景が広がっていました。

30年ほど前に醤油といえばスーパーの安売りの目玉商品に象徴されるように低価格が求められていましたが、その時代に、地元産の原料と木桶による仕込み、梃子(てこ)による圧搾と伝統的な醤油づくりを復活させることで一石を投じたのも八木澤商店でした。

東日本大震災を経て

その光景が一変したのは2011年の東日本大震災です。岩手県陸前高田市は大きな被害を受けて蔵も丸ごと流されてしまいました。「想像を超えると、笑いしかでてこなかった」と河野通洋さんはいいます。

一方で、「工場長が『原料を満タンにしていたのに流されてしまってもったいない』と話すことに、いやいやそれどころじゃないでしょ?!と対応する冷静な自分もいました」。そして、誰かがやるぞと言わないといけないと、その時には決心していたといいます。

河野通洋社長。

工場を移転して製造を再開

「従業員は解雇しない。絶対に蔵は復活させる」と途方に暮れる従業員達に約束しました。本社を陸前高田に残して、翌年には一山越えた一関市の小学校の跡地に工場の建設を開始。一人の従業員も解雇せず、2013年から醤油の出荷を再開させました。

醸造業は備蓄業

震災前にこんな話を伺っていました。「醸造業は備蓄業」酒や醤油などの醸造蔵の中に蓄えられているのは、大豆や小麦や米など明日土に蒔けば芽がでるものばかりで、醸造業は備蓄業であるというものでした。

昔は地域の中に醸造蔵が存在し、当時最も恐れられていた飢饉を背景に大切にされてきた歴史があるそうです。だからこそ、究極の目標は、「世界中から飢えで死んでいく子供達をなくすこと」であると、河野社長は話していました。

そして、震災。醤油をつくる設備はおろか原料もすべてなくなった状態で、八木澤商店のスタッフが行っていたのは配達でした。「一週間たったときに、避難所には物資が集まってきますが、家が残った人たちの元には届いていませんでした」と、避難所になっていた地元の自動車学校を拠点に集まってきた支援物資をトラックに載せて家庭をまわっていたそうです。

原料処理の現場
諸味を入れる発酵タンク

地域を活かす

「私たちは、食を通して感謝する心をひろげ、地域の自然と共にすこやかに暮らせる社会をつくります。」八木澤商店の経営理念の一節です。震災前に行われていたのが地元の小学生を集めての「生き方」の授業で、米を育てるために草の虫をつぶすことからスタートするそうです。すると、自分達の食卓に並んでいる食べものはたくさんの犠牲の上に成り立っていることを感じるそうで、自然と「いただきます」を口にするといいます。

地元の人と連携して育てた大豆が高々と積み上げられている。

また、近隣の小学校で行われていた味噌作り教室では大豆から育てることから始まります。鹿がこっそり大豆を食べにていると「こら~!あっちいけ~!」自分達が大豆を守るために立ち向かっていくそうです。これらの取り組みが地域づくりだと河野さんはいいます。「田舎で育った子供たちはいずれ都会にでていくものです。そして、少し成長したときに、地元での原体験を思い出して故郷に戻ってきてくれる。このサイクルが地域をつくることだと思っています」。

地域と共に

河野さんは震災直後には地元企業の経営者らと「なつかしい未来創造株式会社」という法人を立ち上げたそうです。これは起業家志望の学生をインターンシップとして受け入れ、新たなビジネスプランを考えるという取り組みで、若い力が集まってくることでの地域の活性化と、自身についても「いつか再び陸前高田で醤油を仕込みます」と未来を見つめる河野さんの目は力強いものがあります。

岩手産丸大豆と小麦で仕込みました

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丸むらさき
明るい色をした、とてもまろやかな濃口醤油。素材をいかすかけ醤油として、焼きおにぎりや焼きとうもろこしに使って香ばしく。

価格 : 450円+税
原材料 : 大豆(国産)、小麦、食塩
この蔵元への直接のお問い合わせ
株式会社八木澤商店
〒029-2201 岩手県陸前高田市矢作町字諏訪41
TEL:0192-55-3261 FAX:0192-55-3262
http://www.yagisawa-s.co.jp/