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002|「仕込み復活」という目標の始まり

 私が実家の醤油屋の内情を知ったのは高校生の時です。

 それまで、小さい頃から家の手伝いをやっていましたが、不思議と醤油が何からできているとか、製法がどうだとか考えもしませんでした。

 あるとき、父が買ってきた醤油の本に伝統的な醤油造りの様子が掲載されていました。その本を読んだことや、時を同じくして我が家でもインターネットが出来る環境となり、醤油の製法やアミノ酸液、添加物の事など、それまで知らなかった情報を沢山得る事ができました。それで、少しずつ興味を持ち父とそんな話をするうちに、組合から生醤油を購入して製造しているという現状を知ったのです。

 それを知ったときは、醤油屋と名乗りながら最初から醤油を作ってないことが、とても嫌でした。また、インターネット上でアミノ酸液や添加物を使った醤油に対する批判的な文章を見たことで、「うちの醤油は粗悪なものなのか?」という、疑心暗鬼がありました。

 私は、実家の醤油を誇りに思っていましたし、そういうものに対して憤りを感じ、こういう批判的な人達を見返すためには、自分のとこで最初から醤油を造らなければいけない。 そう思いました。

 なので、仕込みの復活を志した根底には「劣等感」や「見返したい」という気持ちがありました。 

城 慶典 (ミツル醤油醸造元)

1984年生まれの醤油職人。
高校生の時に自社での醤油醸造の復活を志して東京農業大学 醸造科学科に入学。入学後、「学校に通っているだけでは自分の求めるものは得られない。」ということに気づき、伝統的製法による醤油造りを続けられている醤油蔵を探し、卒業までに7つの醤油蔵で短期間の研修を受け入れて頂く。卒業後、岡本醤油醸造場にて一年間の研修。その後、JFCS(ジャパン・フードコーディネーター・スクール)で一年間学び2009年6月より、実家であるミツル醤油へ入社。2009年11月 夢である醤油造りの復活と、地元・糸島を全国に発信したい。という思いをリンクさせ具現化する、社内別ブランド「itosima terroir」(イトシマ テロワール)をスタート。

ミツル醤油醸造元